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懐かしの誌面

「チミ・ポンサ」 田中照久さん

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1999年8月12日オープン

■世界に誇る日本発の新文化
 かつて、アメリカの雑誌「タイム」のアジア版が選んだ「20世紀で最も影響力のあったアジアの20人」のひとりに、昭和天皇、毛沢東、ガンジーと並んで井上大祐氏という人物がいた。実はこの人こそ、1971年にカラオケの第一号機を世に送り出した、カラオケの生みの親である。その誕生からわずか30年あまりで、一大アミューズメント産業へとめざましい発展を遂げたカラオケ業界。夜の酒場における余興から旅館やホテルへの普及を経て、80年代後半にはカラオケボックスが登場。子供から大人まで幅広い層が楽しめる国民的レジャーとして、カラオケは新たな文化を創設した。今やその人気は国内にとどまらず、世界中でも「カラオケ」はスタンダードな娯楽として利用されている。
 今回の創業物語は、日本で生まれ育ったエンターテイメント・カラオケボックスが主役。幅広い年齢層に親しまれている「町のカラオケ店」に、開業までのプロセス、そして現在の取り組みを聞いてみた。

■アットホームなカラオケ店
12040122613s.jpg 高知市天神町の鏡川沿いにあるカラオケボックス&ティールーム「チミ・ポンサ」。一度聞いたら耳に残る不思議な店名は、逆から読めばその言葉の意味が分かる。「祖母の代から30年近くにわたって営業してきた喫茶店の名前が『散歩道』だったんですよ。この店を開業するとき、昔なじみのお客様にも分かるような名前にしたかったけど、『カラオケ散歩道』では、ボックスというよりもスナックみたいでしょ。だから逆から呼んで『ちみぽんさ』。年配の方は字を右から読む習慣もあるので」と、名付け親であるチーフマネージャー・田中照久さんは言う。
 田中さんが母親と共にこの店をオープンしたのは1999年のこと。4階建てのビルの中に、母親が経営していた老舗喫茶店を移転し、照久さんが新たに参入したカラオケボックスを融合させた、家族経営の店を立ち上げた。店内に入ると、カウンターの奥が喫茶店になっており、この店ご自慢のダッチコーヒーが抽出されている。カラオケルームは全12室で、落ち着いた部屋、明るくポップな部屋、トイレ付きのパーティールームなど全室タイプ別。いつお客さんが来てもきれいな部屋で迎えられるよう、掃除を徹底している。日中は母親が、夕方から深夜にかけては照久さんが店頭に立ち、常に経営者の顔が見える商売を心がけている、親子で切り盛りするアットホームな店だ。

■住宅会社の営業マン時代
 父親が内装業、母親が喫茶店を経営する家庭に生まれた田中さんは、小さい頃から商売を営む両親の姿を見て育ってきた。子供の頃は、母親のいる喫茶店が遊び場、高校生になってからは、父親の仕事場へ行きクロスの張り替えを手伝ったりもした。「喫茶店は毎朝同じ時間に同じ顔ぶれが集まる、そういう身近な商売の雰囲気が好きでした。また、内装業は短時間でその空間のイメージをガラっと変えることができる。そこが面白かったですね」。
 いずれは自分が設計して、父親が内装を手がけるような建築関係の仕事がしたい。次第にその思いを強くしていった田中さんは、高校卒業後、高知デザインカレッジで建築科を専攻。20歳のときに、住宅会社「高知パナホーム」に入社し、1年目から営業マンとして各地を飛び回る日々が始まった。「営業は人に会うのが仕事と教えられ、飛び込みで各家庭を回っていました。慣れないうちは顔を引きつらせながらも笑顔でね(笑)。毎日夜10時ごろまでお客様に会い、その後、会社に戻って深夜3時近くまで設計プランを練る。ハードだけどお客様の要望を形にしていくのが楽しかったです」。

■思わぬチャンス到来
12040122612s.jpg そんな多忙な生活も3年目を迎えたある日、田中さんのもとに思わぬチャンスが舞い込む。父親が内装を手がけて以来、交流のあったカラオケ店「G&G」の会長から、新しくカラオケボックスを開業してみないかと勧められたのだ。場所は現在の鏡川沿いの4階建てのビル。かつて「G&G」があった場所で、移転してから1年半ほど空きビルになっていた物件だった。
 ちょうど同じ頃、会社での自分の立場に刺激が足りないと思い始めていた田中さんは、この申し出に新たな可能性を見出していく。「自分としても30歳までには独立して父親の仕事に入りたいと考えていましたが、当時はまだ24歳でしたから、悩むところもありました。しかし、母親と共同経営することで長年培ってきた喫茶店のノウハウも活かせるし、何よりもこの若い年齢で大きなことに挑戦できるチャンスかな、と思うようになっていったんです」。
 やるからには高知県内で業界No.1を目指したい。田中さんは3年間勤めた会社を退社。未知なる業界へ足を踏み入れたのは24歳のときだった。

■手探りの開業準備
 開業を決意して、まず田中さんが真っ先に行ったのが市内のカラオケ店めぐり。客としてカラオケボックスを利用しながら、個室の雰囲気、カラオケの機材、飲食メニューなど見習うべきありとあらゆる点を偵察して回った。その後、開業を勧めてくれた「G&G」に研修に行かせてもらい、実際の業務を体験。後に役立ちそうなことは、事細かにメモに残していった。
 続いてカラオケ業界に関して全くの素人であった田中さんの頭を悩ませたのが、各メーカーがしのぎを削って開発しているカラオケ機材。ゲーム機能に優れていたり、曲数が多かったり、各社それぞれにウリがあったが、果たしてどれを購入するべきなのか。「各メーカーいろんな機種を出しているので購入には迷いましたが、最終的には、丁寧な説明と迅速なフォローで対応してくれた担当者の人柄を見込んで」、有線会社の機材に決めた。内装工事は父親の会社に発注。靴を脱いでゆっくりくつろげる、清潔感あふれる空間を意識した。
 開業準備の中で、田中さんが最も大変だったのは人を使うことだったという。「初めて経営者として人を雇う立場になり、人を使うことの難しさを実感しましたね。自分よりも随分と年上の人もいましたし、無断で来なくなるような人もいました。それでひげを生やして実際の年齢よりも老けて見えるように工夫してみたり(笑)」。
 そして、開業の話が舞い込んでから約4ヶ月後の1999年8月12日、ついに高知に新しいカラオケ店が誕生。田中さんの新たな挑戦が始まっていった。

■予想以上に厳しい業界
 1980年代後半に登場したカラオケボックス市場は、これまでの酒場の客層に加え、女性客や若者層という新しい市場を開拓していき、ユーザを拡大させた。全国の部屋数を見てみると、1990年には5万2578室であったが、その後ブームに乗って急成長。1996年には約3倍の16万680室へと一挙に増えた。しかし、これはカラオケ産業が始まってから現在までの間のピークであり、以後カラオケボックスは減少傾向にある。(JASRAC調べ)。現在も長引く不況や競争激化により、廃業するカラオケボックスも増加している。
 田中さんが開業した1999年は、ちょうどカラオケボックスが全盛期を経て、全国的にも下り坂を迎えていた時期のことだ。開業してみて改めて、田中さんもその厳しい現実を実感したという。「開業する前から落ち気味の業界であることは分かっているつもりでした。しかしレジャー施設が少ない高知県内では、カラオケボックスは無くならない、絶対に残るとも思っていた。実際にオープンしてみると、思っていた以上にお客さんが来ない。宣伝やイベントなど何かをしないと、もはや集客が難しい世界だということが分かりました」。焦る気持ちから、田中さんは周囲のホテルや居酒屋を回って、カラオケボックスのPRを始めた時期もある。しかし、直接的な売上には結びつかず、気休め程度の反応だったという。「自分から飛び込みで営業を展開していったサラリーマン時代と違って、商売は待つのも仕事」。身をもってそう実感した田中さんは、自分で商売をすることの難しさ、そしてやがては醍醐味を感じるようになっていく。

■お客さんの声を反映させた店づくり
 オープンから現在まで、田中さんは手探りで店のあるべき姿を探し続けている。イベントごとにビールを値下げしたり、時間限定で安く部屋を貸し出したりという試みも実践しているが、低価格だけで勝負はしたくない。お客さん本位のサービスを提供することで、客足を伸ばすのが田中さんの理想だ。これまでもお客さんから直に聞いた意見を参考にして、店づくりに反映させてきた。「歌いたい曲が無かった」というお客さんの声を聞いて、オープンから2年後には、早くもカラオケ機材を一新。17000曲から30000曲に増えた新機種を発売と同時に購入した。「レコスタ」、「ダンスダンスレボリューション」など話題の機種も四国でいち早く取り入れ、ユーザーの興味を店に惹きつけることに成功している。また、カラオケボックスには珍しい焼酎のボトルキープ、中には自分用の梅肉を持参してきて、梅焼酎を注文する人にも快く対応している。「カラオケボックスというよりは居酒屋のノリですよね(笑)。開業するときから、お客様と直接ふれあえるようなアットホームなカラオケ店を作りたいと思っていました。お客様と顔見知りになるにつれ、常連客が増えていく。月並みですが、商売をやっていてお客様に喜んでもらえることが一番嬉しいです。お客様には、気軽に僕やスタッフまで要望を伝えて欲しいと思っています」。

■カラオケボックスの楽しみ方
12040122614s.jpg カラオケボックスがすっかり定着した今、その楽しみ方も人それぞれ。オープンから4年を迎えた「チミ・ポンサ」にも日々さまざまなお客さんがやってくる。毎週バスを乗り継いで通ってくるおばあさん、週4回の割合でやってくる高校生、室内に備え付けのテープデッキでひたすら自分の歌を録音し、自作テープを作っていく人、中には、会議室として部屋を使っていく会社員や、エレキギターやサックスを部屋に持ち込み、大音量で練習していく人もいるという。「楽しみ方は人それぞれで全くかまいません。いかにお客様に楽しんでもらえるか、気持ち良く部屋にいてもらえるかを考えています」。そのひとつが掃除だ。いつお客さんが来ても落書きひとつないきれいな部屋で迎えられるよう、従業員と一丸となって取り組んでいる。

■人とのつながりが持てる社交場に
12040122611s.jpg 「今後はカラオケ好きの人が集まって交流できる『チミ・コンパ』とかやってみたいですね。カラオケは携帯電話やメールと違って、直に人と人が触れ合うことができる場。年配の人同士が友達になれる機会だったり、グループ同士のお客様が楽しく飲めるような場を作っていきたい」と語る田中さん。余談ながら、お客さんのためにセッティングしたカラオケコンパの席で、自らの伴侶も見つけている。
 カラオケボックスはもはや単なる「飲み会の2次会」ではない。お年寄りの集会場であったり、家族団欒の場であったり、友人同士の交流の場だったりと現代日本において、貴重な社交場としての価値を担いつつあるのかも知れない。そして、お客さん一人ひとりを大切にする、この店の姿勢こそが、これからも幅広い年齢層に「カラオケ」を定着させていくことだろう。

「チミ・ポンサ」
高知市天神町8-11
■TEL/088-833-3380
■営/10:00~深夜2:00
■休/無